21、霧

朝、いつものように学校に行こうと家を出ると、10m先も見えないような濃い霧が出ていた。
この時期は、時々酷い濃霧になる。
五里霧中って言葉があるけど、それ以上に何も見えなくて怖い。
いつか、この霧に飲み込まれてしまうんじゃないかって、不安になる。

「みんな、車には気を付けるのよ」
「はぁーい」

家の外まで母ちゃんが見送ってくれて、
が心配するなとでも言うように笑顔で手を振る。
オイラも母ちゃんに『行って来るからなー』と言って、手を軽く挙げる。
ハオは、どこか上の空で、何と言っているかも分からないくらいの生返事を返した。
の背中を、遠い目をして眺めている。

「今日は、本当に霧が凄いね…」

ハオがあんなにぼぅっとするのは珍しい。
何だろうと思って見ていると、だけはそれに気付いていないようで、
辺りに立ちこめる霧を見て、呆れを通り越して感心したようにが言った。
早く学校に行こうと、は足を踏み出す。

を見るハオに、それを見るオイラ。
立ち止まっていたオイラ達と、の距離が少しずつ開く。

一歩。
また一歩。

…!」

そうして5歩目が地面から離れようとした時。
短く名前を呼んで、ハオがの手を掴んだ。
まるで、霧の中に消えていくを、必死で繋ぎ止めるかのように。
その声があまりにも切羽詰っていて、オイラはハッとする。

が、消えてしまわなくて、本当に良かった。

は驚いたように目を見開いて、それからすぐに微笑んで首を傾いで、
今にも泣きそうな顔をするハオの手を、優しく包み込んだ。

(2007/03/01) 霧が濃い日は、ちょっと怖くなる。





22、四面楚歌

「ねぇねぇ、ちゃん! ハオくんって甘いもの好き!?」
「クッキーは? チョコ味とか大丈夫かな? それとも、プレーンの方が良いかな?」
「家ではいつも何食べてるの? って言うか、お菓子とか食べるの?」
「そりゃ食べるでしょ。だってちゃん、お菓子よく作るし」
「あ、あたしこの前、ハオくんが昼休みにマーブルチョコ食べてるの見たよ」
「あ! 私も見た事あるよ! でも、私が見た時はチロルチョコの『きなこもち』だった!」
「うそー! あはは! 超意外なんだけど!」
「じゃあ、甘いものって平気なんだ! 良かったー!」
「てゆうか、チョコが好きなのかな?」
「あ、ほんとだ! じゃあ、チョコ系にしたほうがいいのかな?」

「…………」

私の席の周りで騒ぐクラスメイトの女の子たち。
彼女の話題は明日の調理実習で作るクッキーの味で持ちきりで、
しかも何を考えたか、それをハオに渡そうと思っているらしい。

その事前準備なのだろうか。
今私は、5人の女子に囲まれて身動きが取れない状況にいる。

まぁ、ハオは、良くも悪くも目立つ。
こんな田舎の小さな中学校だ。
ただでさえ双子は目立つのに、幸か不幸かその双子は顔がいい。
その上ハオは長髪だし(堂々と校則を破るこの度胸!)、カリスマ性っぽいものもある。
葉には悪いけど、そこに本物の恋愛感情が存在する場合は少ないようだが、
確かにハオは人気がある。

しかし、だからと言って、なぜ私まで巻き込まれなければならないのか。
一緒に住んでいるからといって、個人の好みまで完全に把握しているわけではないのに。

「…で? 結局どうなの?」

四方どころか五方から詰め寄られ、私に逃げ場はない。
項羽と虞美人も真っ青だ。
ここは、ハオに犠牲になってもらうしかない。

「………ハオは、美味しければ割りと何でも食べるよ。
でも、同じ種類だとすぐ飽きるから、一人ひとり違う味にしたら?」

そう助言したら、さっさと私の席を離れて、今度は教室の後ろで何やら相談を始めた。
私はプレーン、あたしはチョコ、オレンジ、紅茶……じゃあ、あたしはシナモン!
額を寄せて徒党を組む15歳、花盛りの乙女たち。
…女子って恐ろしい。

とりあえず、明日の調理実習は、ハオ以外の家族のためにクッキーを作ろう。
何となく、葉が不憫で仕様がない。

(2007/06/24) そして、結局女子のクッキーは麻倉一家の胃に納まる。





23、時の流れ

僕はときどき、置いていかれそうな感覚に陥る。
何に、って?
それは、全て。
僕を取り巻く全て。
僕の全て。

ときどき、は遠い目をして微笑む。
彼女が何を見ているのかは知らない。
けれど、本当に、愛おしそうに、切なそうに、遠くを見つめて微笑む。



僕の声は届かない。
僕は彼女を理解しきれない。
まだ彼女を知らない。

同じ時を歩んできたはずなのに。
同じ場所で同じ事をしてきたはずなのに。
同じ道を歩いていたはずなのに。

彼女はまだ、こんなにも遠い。

(2008/01/04) ただぼうっとしてただけなのに、ハオは勝手に色々と悩み込む。





24、ごまかし

双子だからか、オイラたちには上下の概念がない。

生まれた順番からオイラが弟らしいけど、
お腹の中にいるときに上にいる方…
つまり、後から生まれてくる方を兄とする考え方もあるらしい。
の知識によると。

だから母ちゃんも父ちゃんもじいちゃんもハオもも、
誰もオイラを『弟』として見ないし、ハオも『兄』じゃない。

でも、学校じゃ、時々『麻倉弟』って呼ばれる。
特に先生とか、他のクラスの生徒に。
は『麻倉妹』らしい。
妹じゃないけど。
ハオは『麻倉兄』らしい。
本当にそうかよく分からんけど。
世間的にはオイラが弟で、ハオが兄らしい。

それでも、オイラたちに上下の概念がないっていうのは変わらないし、
兄弟って言っても何をするにも平等だし、
兄ちゃんだからとか、弟だからとか、そんなの今までなかったし。

でも、考えた事がないわけじゃない。
ハオを見てると、やっぱりこいつが『兄ちゃん』なんかなぁって思う。
にも、オイラよりハオの方が大人っぽいって言われるし。

「…兄ちゃん」

誰もいない洗面所で、鏡を見ながら言ってみる。
オイラと同じ顔と遺伝子情報を持つ、別の人間。

「…ん? 葉? 呼んだ?」
「…っ! ハ、ハオ!? お前、どうしてここに!」
「別に…。歯磨きに来ただけだけど…」

何かやましい事でもあるの?

そう言ってくるハオに、オイラは安堵の溜め息を吐いた。
見られてたのかと思って焦ったけど、どうやらそうでもないらしい。

オイラは引きつった笑顔のままそそくさとその場から離れて、
完璧にハオから見えない所でもう一度溜め息を吐いた。

オイラがハオの事『兄ちゃん』なんて呼ぶところ、
誰にも見られなくて良かった…。

(2008/01/28) 兄弟の区別はないけど、やっぱりハオの方が上にいる。





25、蜻蛉

もし私が1日しか生きられないなら、
きっと、ハオと葉にキスを残して
誰にも見られないようにひっそりと死ぬよ。

蜻蛉の儚さに、私は一瞬の輝きを見出して言った。
そしたら、ハオも葉も、二人して私を抱き締めてくれた。

それだけで幸せだよって言うと、

冗談でも言わないで、って。
オイラは嫌だ、って。

本当に、それだけで、ただそれだけで、
そう言ってくれるだけで、幸せなの。

(2008/01/29) 24時間の命ならば…。





26、蜃気楼

はいつも僕たちのそばにいるけど、
時々手の届かないどこかに行ってしまいそうな感覚に陥る。
葉は別にそんな事感じた事はないって言っていたけど、
だったらやっぱり、それを感じるのは、
を特別視している僕だけなのかもしれない。

夏の気配を感じさせる強い日差しの下、
お気に入りらしい鉢植えのミニバラに水をまくを、
僕は縁側からぼうっと眺めていた。

「……!」

瞬間、その後姿に何かが重なる。
それは一瞬で掻き消えてしまったけど、
もしそれが僕の見間違いでないのなら、
その何かは人の形をしていた。

もう一度目を凝らす。
けれど、もう何も見えない。
特別な気配もない。

見間違いか…。
僕は目を擦り、の背中を見つめた。

もしそれが僕の見間違いでないのなら…。
それは、であってでない、彼女の後姿のように見えた。

それが、迫り来る夏の気配ならば、
全ては僕の杞憂で終るのだけど…。

(2008/02/07) そして彼女は、赤い着物を着ていたように見えた。





27、骨

「大丈夫ですか、葉様! 今、お茶を…!」

そう言ってオロオロするのはたまお。

「ご飯を一塊丸呑みすると良いらしいよ」

そう言って食事を続けるのは

「ピンセットか何かで取ったら?」

そう言って、やっぱり食事を続けるのはハオ。

オイラは今、非情に不愉快な状態にある。
食事中に魚の小骨が喉に刺さって、それから取れずに痛い思いをしている。
それなのに、頼りのじいちゃんたち大人は仕事とかで誰一人いないし、
たまおはまだしも、もハオも気に留めた様子もない。
ちょっとだけ、色んな意味で涙が出そうだ。

「まぁ、ほっといてもそのうち唾液で溶けるよ」

……色んな意味で、は強すぎる…。
ハオも『小骨くらいじゃ死なないよ』とか言ってるし…。
何か、もっと別の言葉があるんじゃないんか…?

オイラ、もうちょっと優しい兄弟と従兄妹が欲しかった…。

(2008/02/08) そして結局、嬢の案で解決した。





28、映画

「……駄作ね」

映画館を出た直後、私は不満をぶちまけるように言った。
隣では葉が『そうか?』とか言ってるけど、半分寝てた人に言われたくない。

「あーあ。最近の映画って、どうしてお涙頂戴系なわけ?
恋人が死ぬとか死なないとか、恋愛に生死を扱うなんて、そんなの卑怯だわ。
みんなが面白いって言うから見に行ったのに、期待して損した」

元々、恋愛云々の話は好きじゃないけど、

『これは絶対に見るべき! チョー感動する! 絶対に泣くよ!』

と、クラスの女子に熱弁されて行った結果がこれだ。
葉はあくびを一つして、右手を大きく上げて伸びをした。

はちょっと冷めすぎなんよ」
「違うわ。『冷静』なの。人様の恋愛模様を見て何が楽しいんだか」

確かに歳の割に冷めてるとは思うけど…。

恋愛に興味がないと言えば嘘になるけど、私は恋愛に対して冷静になれる。
だからか知らないけど、よく恋愛相談窓口にされる。
昼休みとか放課後とか、本気で相談される。
私、『思いっ○りテレビ』の某司会者じゃなんだけど…。

「オイラにはよく分からんけど。オルハがそう言うんならそれで良いんじゃねぇか?」

……それもそうか。
私達は涙に濡れる女子中高生の間を縫って近場のスターバックスに行って、
適当にカフェラテとカフェモカを買って、それを飲みながらゆっくりと帰った。

私が妄信するほど愛しい人は、まだいない。
それが今日得た収穫だった。

(2008/02/13) 『恋空』を葉と観に行った帰り。家に帰ったらハオが拗ねていた。





29、炎

たまおが委員会で帰宅が遅れて、だけが台所に立つ。
そんな日は滅多にないので、僕も珍しく夕食の手伝いをして台所に立つ。

「こっちで野菜切ってるから、ハオ、火、見ててね」

そう言っては包丁を握って、リズミカルに野菜を切りだした。
僕は言われたとおり、湯の張られた鍋を見た。

ガスコンロの青い火、先端だけ温度が低くて赤い火。
青い火、赤い火、炎…。

『ちっちぇえな』

「…!」

不意に、僕じゃない僕によく似た声が聞こえた気がして、僕は意識を奪われる。

『王ってさ、何でも知っているものだろう』

『初めから裏切られた気分だ』

見た事もない、感じた事もない、
何もかも知らないビジョンが脳裏を掠める。

『この未来王――ハオのためにね』

「…ォ、…ハオ!」
「…!」

突然肩を掴まれ、僕の意識は浮上した。
驚いて振り返ると、呆れた顔をしたがいた。
はコンロの栓を捻り、火を止めた。
気付けば、僕が番をしていた鍋が完全沸騰して、中の湯が噴き零れていた。

「何やってんのよ、もう。噴いちゃったじゃない」
「あ…ああ、ごめん…」

どうしたの、と困ったように首を傾げるに、
僕は『何でもないよ』と返した。

そう、何でもない。
あれは、ただの白昼夢。
炎に惑わされた、ただの幻だ…。

(2008/02/14) アナザーワールド・オブ・ハオ。ハオの回だけ暗い…orz





30、命

「葉、もう、いいでしょう…?」
「もう帰ろう、葉…」

オイラの後ろで、とハオが言う。
体を打つ雨が冷たい。
が傘を差してくれているけど、受けきれずに少しだけ雨に当たる。

「私たちにできるのは、ここまでなんだよ」

しとしとと降る雨のようにひっそりとした声でが言う。

学校の帰りに偶然見つけた、交通事故で死んだらしい子犬。
オイラは冷たくなったその犬を抱き上げて、近くの森に埋めてやった。
盛り上がった新しい土が、オイラの胸を締め付ける。

「もう、ここにはいないよ…」

声を潜めて言うハオに小さく頷いて、オイラは小さく頷いて立ち上がった。
それから、三人で手を合わせて冥福を祈る。

大丈夫だよ。
そう言ってオイラを抱き締めるに、オイラは泣きそうになった。

(2008/02/14) 泣いてもいいよと、彼女は悲しげに笑った。




  メニュ