【2004年1月1日】

2004年明けましておめでとう。
おめでたい空気に包まれた家で、私は酷く後悔をしていた。

「あーあ。着れなくなるんだったら、去年もっと気合入れて着れば良かった」

私は着物の袖をつまんで、机に顔を乗せてうつ伏せた。
出てくるのは溜め息だけ。
隣でアンナが蜜柑の皮を剥いている。
アンナはちらりと私を見て、それからまた丁寧に蜜柑の皮を剥いた。

「今更ね」

痛烈な一言に、私は項垂れるだけだった。
若草色の着物の袖をつまんで、また一つ溜め息を吐いた。
袖は床に着かない程度の短い、一般的な訪問着の長さ。

「まさかあんなに急に結婚するとは思ってなかったんだもん」

そう。
私はもう二度と振袖が着れなくなった事に衝撃を受けていた。
振袖は未婚の女性の特権。
私にはもう永遠に手の届かない存在になってしまったのだ。

「18の身空で所帯持ちなんて…」

そんなに着たいなら着ればいいじゃない。
そうバッサリと言い捨てるアンナに、私は恨めしそうな目を向ける事しかできなかった。
その習慣を蔑ろにできるほど麻倉の教育は緩くない。
何を言っても結局深いところでは私も麻倉家の人間なんだと、
思い知らされて、また溜め息を吐いた。

(2008/08/01) 人はそれを刷り込みと言う。





【2004年2月8日】

今日、体の具合が悪いと母さんに相談していたの体に、
知らず知らずの間に驚くべき変化が訪れていた事を告げられた。

が赤子を身篭った。

もうほとんど授業なんてなくて、僕と葉は家で自習をしていると、
電話が鳴って、総合病院に行った母さんからのもので、
それは内科でなく産婦人科からかけてきたらしくて、
今すぐ父さんを迎えによこせとの事だった。

『今日はお赤飯よ!』

そう言って切れた電話は、僕を奈落の底に突き落とした。
決して悪い意味じゃなくて、気分的に。
体調不良、産婦人科、赤飯。
それらから導かれる答え。

……。
…僕はもう一生立ち直れないかもしれない。

……まぁ、アレだ。
する事はしてたんだ。
その、夫婦の営みというものを。
それは、まぁ…、……僕との一生の秘密だけど…。

帰ってきたは、顔を真っ赤にさせて僕に駆け寄ると、抱き付いて泣いた。
恥ずかしいのと戸惑いと嬉しいのが一緒くたになっていた。
父さんはまだ現実を受け止めきれてなくて動揺していた。
母さんはふふふと含み笑いをしていて、僕は居心地が悪かった。
だからを抱き締めて、気付かれないように僕も一緒に泣いた。
恥ずかしかったけど、その何百倍何千倍嬉しかった。

「生年月日はお父さんに占ってもらう? 性別は? 名前は何がいいかしら!」

その日のご飯を赤飯にした母さんは、嬉しそうに言った。
若夫婦のおめでた発覚。
お誕生日席に僕とを座らせて、ちょっとした宴会みたいになっていた。
さしもの僕も顔を赤く染めるしかなかった。

かなり気まずかったけど、この両親で良かったと心から思ったのも確かだった。
他所の家なら、まず間違いなく中絶をさせられるところだ。
それなのに、うちはその真逆で喜ばれた。
(それもそれでどうかと思うけど)

…後8ヶ月。
僕はまだ見ぬ赤子の父親になるらしい。

(2008/08/03) 母親に父親宣言をさせられる高校三年生は不幸だ。





【2004年2月14日】

生まれてから18年間。
あまり優秀ではないオイラの記憶によると、
2月14日、この日に市販のチョコレートをからもらうのは初めてだった。

家訓なのか、何かと物作りが好きな一家だと思う。
だからに初めてもらったチョコも手作りだった。

確か、5歳くらいだったと思う。
幼稚園児で、バレンタインの意味を曖昧に掴み取った頃。
は麻倉家の男性陣にチョコを贈った。

チョコを溶かして型に入れて固めるだけの簡単なチョコ。
それでもは一生懸命作って、不恰好なチョコは最高に美味しかった。
その日を境に、による贈り物の歴史は始まった。

そして今日。
その歴史上かつてない、前代未聞の事態が発展した。
が手作りでない食物を贈った。
それは由々しき事だった。

「ごめんね、ハオ。葉も。こんなので…」

そう言って渡されたチョコは有名製菓会社の大量生産の市販品だった。

事は重大でも、理由は単純だった。
つわりが酷くて台所に近付けなかった。
それだけだ。
オイラはしょうがないと思ってるし、それはハオも同じだと思う。
自分の嫁の体が心配でない夫がこの世に存在するのだろうか。

は無理しなくても良いんよ」

そう言うと、は眉を下げて力なく笑った。

初めての妊娠は何もかもが未知のもので、はそれに翻弄されていた。
あの気丈なが手も足も出ないのだ。
相当なものだろう。

…女じゃなくて良かった。
心の底からそう思った。

(2008/08/03) 女は男より強いと言うけれど、あながち外れていない。





【2004年3月1日】

「もう、止めてよ、二人とも」

呆れ気味に言っても、ハオも葉も頑として私の言葉を聞き入れてくれなかった。

3月1日。
私たちの通う高校の卒業式。
私は今日をもって『学校』という組織から解放される。
学生でいられる最後の日だ。

その有終の美を飾る今日。
ようやくつわりも落ち着いてきて、何とか長時間の式に耐えれるようになったのに、
今度は過保護な夫と義弟に捕らえられてしまった。

右にハオ、左に葉。
私は両手をお姫様のように恭しく引かれ、
ゆっくりと、牛歩の歩みで、一歩ずつ、確実で丁寧に階段を降りる。

「今が一番大切なときなんだから!」

ハオは珍しく声を荒げた。
事情を知らない生徒たちが見たら、何の行進かと思うだろう。
麻倉一家は仲が良くて、私が女王の位置に即している。
何度かそういう目で見られて、『やっぱり』という顔をされた。
囃し立てられる事さえされなかった。
この三年間でこういう扱いにも慣れた。

二人の騎士に手を引かれるお姫様。
この奇妙な行進は、家に帰るまで続いた。

(2008/08/07) だって、僕の赤ちゃんが…!とは旦那の言い分。





【2004年4月1日】

真新しいリクルートスーツに身を包み、或いは常識の範囲内で着飾り、
これから始まる4年間に思いを馳せるべきこの入学式会場で、
彼女は満面の笑みを浮かべていた。

振り返ればそこにいる。
花のように愛らしい笑みを浮かべて。
黒い礼服用のドレスを纏い、髪をシニョンニして、
僕らとそう年端の変わらない彼女は。
保護者席に座って僕たちを眺めていた。

、どうしてここに…?」

僕の呟きは、学長の挨拶にかき消された。

「だってこんな楽しい日はないでしょう」

暑苦しいサークルの勧誘を断りながら、はさらりと言ってのけた。
成人もまだなのに、何だか大人になった気分ね。
はさも楽しそうに言って、僕らを桜の木の下に並べて写真を撮った。
出雲に送るらしい(母さんに頼まれたそうだ)。
それから自分も入って4人で写真を撮ってもらった。
これは人数分焼き増しして個人に配り、さらに出雲に送るらしい。

大学生になって、僕とは都内の住宅地に一軒家を借り、
葉とアンナは隣県にある、母さんが学生時代を過ごした元民宿に収まった。
同棲と言うか、同居と言うか、若夫婦の新居というものをじいちゃんが用意した。
(葉たちに至っては婚前なのに)

「スタートは一緒がいいじゃない」

それはの言葉だった。

はしばらく自宅でできる仕事を請けて、
(お札を書いたり、易占をしてみたり)
それから産後に本格的に仕事に身を入れるらしい。
僕は学業に勤しみつつ、修行の方も自分でできる範囲でする。
時々に教わったりもする。

最後の学生生活だから、悔いのないようにね。
そう言ったは、ちょっとだけ寂しそうに見えた。

(2008/08/08) 嬢は働く女になるのです。




メニュ